「そうなんだ」と「やはり」の理解とそれに伴う幸せ

さて、日付変更線を越えてしまいましたが、寝るまでが“今日”です。私はまだ11月22日のつもりで書いているので、そのつもりで読んでください。


今日は吉田篤弘さんの『小さな男*静かな声』の文庫版の発売日でした。
『それからはスープのことばかり考えて暮らした』が大好きでそれ以来吉田篤弘さんの本はちょくちょく読んでいます。

『小さな男*静かな声』は、まだ読んでる途中なのですが、これはすてきと思った箇所があったのでご紹介したいと思います。(しかし、本当はすてきなところだらけなのでぜひ一読してほしいところ)

主人公が妹に話をしていると、妹はしばしば「そうなんだ」と言うらしい。主人公はこの言葉に「冷徹」と「断絶」を感じ、とどのつまりは「わたしは違うけど、兄さんはそうなんだ」と言いたいのだろう、できればその言葉を発するのはやめて欲しいと思ってる。
しかし、妹さんの言い分はこう。
「兄さんは2階にいる。1階にいる私が2階へ興味を持ち、それがこぼれ落ちて5文字になっている」(←言い方はぜんぜん違います)

これほど、「そうなんだ」を表している表現があるでしょうか!?!?!
「2階と1階」は、私の心に「そうなんだ」の表現として“ぴたり”と当てはまりました!!!!!!!!
(感動を言葉で言い表せるほど文章力がないので感嘆符で表現というズルをしてみた!!!!)

あと、「やはり」の説明と「ついに」の説明も書かれているのですが、これまたものすごくすばらしいです。

主人公は「やはり」という言葉が好きなんだけれど、その理由がこう。
(略)「やはり」には「やはり」に至るまでの長い道のりがあり、その場の思いつきで「やはり」と口にすることはまずない。「やはり」はそれまでの培ってきた憶測の結果であり、「こうではないか」という前提があってこその「やはり」である。

やはりって言うために、常日頃から「そういえば」を「もしかして」にして「こうではないか」にしてるから「やはり」と口にすることができるわけです。だから小さい男は「やはり」が好きなんです。「やはり」とつぶやいている時は努力が報われる瞬間なのですね。

「ついに」のすばらしさの説明は、ここまでの私の興奮で『小さな男*静かな声』を読みたくなったであろう人たちのために当ブログでは説明しないことにします。

本当に小説ってすばらしいと思うんです。辞典やハウツー本では扱わないような心のヒダというかなんというかを詩的に説明しているところに出会う、幸福を感じます。


私は本が読めて幸せです。




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